学生の感想

 里地の保全を学ぶ演習科目。学校近隣のすばらしい棚田地帯へ。ここはモニ1000のコアサイトにもなってるし、ほかにもいろいろな草原生植物の研究者がちょこちょこやって来るところ。まずは学生といっしょに草刈りが継続している畦畔で草原の植物をみながらあるく。あるくって言ったけど、畦畔の植物が多様すぎてほとんど歩けない。1mもうごかずに何種もでてくる。そのあとで、草刈りが停止して数年たった畦畔を覗く。ネザサに覆われヌルデがちらほら。ネザサの藪に首をつっこんで文字通りのぞき込む感じ。ここで枠をはって単位面積当たりの種数をしらべ、草刈りがなくなることで種の豊かさがどのくらい変化するかを実感してもらう。
 「逆だと思ってた。草刈りがある方が種類が少なくなると思ってた」という感想をもらしたのは工学部の建築出身の学生。こういう感想をきくと、そういう感覚もあるんだと気づかされる。こういう学生の感想はちゃんとメモしておく。意識しておくべきギャップだと思うので。
 

ついにスマホの波に呑まれる

 身軽でいたいのと、固定費が増えるのがいやなのと、それほど必要性を感じてなかったのとで、今までスマホを持たずに過ごして来たけれど、とうとう買った。
 これまで使っていた携帯電話はノキア706。2009年の正月に買って7年4ヶ月使った。最近ではメール着信音がならなくなり、日本語の予測変換ができなくなり、画面にひびが入り、CLRボタンがはずれ、電池カバーのツメがおれて蓋がふわっとしか閉まらなくなっていたけれど、友達少ないから通話もメールもあまりしないから、まだまだ何の問題もなく使えてた。
 けど、知人から本を紹介してもらったときに「うちに帰ったら注文しよ」と僕が手帳にメモとってる横でiPhoneポチーして「在庫ラス1ポチったった」いうてるY川さんとか、会話の途中でおもむろにiPhoneで文献検索して論文ひっぱってくるY川さんとか、沖縄の山中で植物同定するときに僕が図鑑ひいて「載ってないわ」いうてる横でiPhoneさすって「ノパの庭にあった、多分これや」いうてさっくり同定するY川さんとかみてるうちに、あのー、まちがってたらゴメンやけどスマホてひょっとしたら便利なんとちゃうかとうすうす感づいて、こうなったら僕もざんぎり頭で牛鍋つっつきながらスマホで文明開化の音をならしたろうと3月のおわりごろに決心してドコモのお店に行ってiPhoneSEを予約した。窓口のお姉さんは黒コンやった。今日の夜にまたドコモのお店に行って、予約したときとは別のお姉さんのいる窓口で対応してもらった。このお姉さんも黒コンやった。もしかしたら黒コンはドコモショップの制服なんかなとおもってほかの人もみまわしてみたら黒コンじゃない人もいたので制服じゃないとわかった。ノキア706に入ってる電話帳をiPhoneSEに移す儀式を黒コンのお姉さんがやってみたけどうまくいかなくて、黒コンじゃないお姉さんと黒コンじゃないお兄さんも加勢して儀式をとりおこなおうとしたけれどうまくいかなくて、最終的に黒コンのお姉さんから、ノキア706が古すぎて電話帳を移植できませんという残念なお告げを受けた。古すぎるからじゃなくて、ノキアだからじゃないのかな。しばらくの間、ノキア706を電話帳代わりに持ち歩くか。身軽でいたいのに。

起伏のない緩斜面の林を歩く

 うけもち学生tkmtさんの調査で、ある集落の裏山を歩いた。できるかぎり広範囲を踏査することとしている。里道や山道がのこっているところはそこを歩く。道のないところも地形図をみながら行く。幸いなことに1:5000の詳細な地形図があり、主曲線が2m間隔なので地形を読みやすい。ところが、尾根に近いある一角で、ずいぶんと傾斜がゆるやかで、しかも起伏がほとんどないのっぺりとした地形のところに行き当たった。めちゃくちゃ怖い。自分がどこをどう歩いているのかがさっぱりわからない。わからない理由の一つはシカのせい。このエリアはシカ食害がひどくて、林床にはイズセンリョウがちらほらみられるだけ。古い里道がこのあたりを通っているはずなんだけど、道も道でない場所も、どこでも歩きやすいから、どこが道だかわからない。歩きやすいせいで歩きにくい。下草が豊富にあったころは、きっと道とそれ以外が区別ついたんだろうと思う。GPSがあるから来た道を戻ることはできる。けど、目指す方向へ進みにくい(GPSに入ってる地図は粗すぎて)。
 日は長くなったとはいえ南西斜面のために山影に入るのが早い。そのへん考慮して、最終目的地まであと1kmほどのところまで来ていたが16:30で下山を開始し、17:30に林からでて集落に入った。
 集落の裏山とはいえ、いざというときの備えをして山に入ろう。今回持ってきていなかったヘッドランプを次回からは携行しよう。行動食も余分に、非常食として持っていこう。もっていくものメモ。GPS、予備電池、地形図、コンパス、ヘッドランプ、非常食。それから、GPSに地形図いれとこう。
 ところで、このエリアはシカが多いからダニと蛭も多いと聞いてる。ダニと蛭が増える前に可能な限り多くの場所を回っておきたい。

変体仮名の看板

 炭焼きあなご。2016年3月17日に淡路市浅野にて。この看板のすてきなのは、「あ」も「な」も「ご」もぜんぶ変体仮名なところ。それと、「こ」にしっかりと濁点がうたれているところ。
 変体仮名とは、いまは使われなくなったひらがな。かつて、ひらがなは今のような一音一字ではなく、おなじ音をあらわすのに複数の文字があった。それが、明治33年(1900年)の小学校施行規則で、ほぼ一音一字だけを教えることとされた。つまり、変体仮名は人為的に絶滅へと向かわされた文字である。絶滅危惧状態ではあるが、街中の看板に(そば屋とかたこやきやの看板などに)ときどき残ってる。つまり、まだ野生絶滅していない。このへんが僕にとっては萌えポイントだ。古文書を読むためには、変体仮名を読めなくてはならず、さらに、文字のくずし方にも精通しなくてはいけない。僕は、いつか古文書を読めるようになろうとして変体仮名に萌えてるのではなく、単純に、消えゆく文字として興味がある。ミーハーだ。でも、古文書よめたらそれはそれでええよなあ。
 それから、ゐとゑは、準絶滅危惧くらいのレベル。50音表にゐとゑをなぜ残してるのだろうか。

 

生態学会3日目

 9時すぎに会場へ行きoqさんと落ち合う。今日はoqさんのポスター発表の日だ。生態学会の発表としては異質な内容。だけど、oqさんも僕もこれは生態学の文脈でやっているつもりではある。
 学会ではできるだけ多くの人から批判や助言を得たいので、oqさんはポスターを朝イチで貼って、コアタイム以外も目いっぱい営業することにしていた。それでoqさんは朝8時30分、僕は9時すぎに会場にきた。けど、ポスター会場には10時まで入れないルールだった。oqさんゴメン、僕の確認不足でした。で、ポスター会場のゲートが開くまでポスターホールの休憩所で待つ。休憩所に岐阜大のM岡さんがいたので挨拶をして、oqさんのポスターのことを少しおはなしして「生態学っぽくないんですけどね」と言ってみたら、「いやいや、これは立派に生態学だよ」と言ってもらえる。
 ポスターを貼ってからはoqさんは相当にいそがしかったみたい。ありがたいことに朝から夕方までお客さんが途切れなかったようだ。400枚以上もあるポスターのなかからこれを選んで来てくださった方、コメントをくださった方、ほんとうにありがとうございます。どんな意見をいただいたか、oqさんからおしえてもらわねば。僕もときどきは見に行った。U田君やY川さんが見に来てかなり好意的なコメントをくださった。U田君は「これがポスター賞をとれなかったら生態学会はもうあかん」とまでいう。びっくりした。ほめすぎやろ。午後遅くには、僕のあこがれのヒーローが見に来てくれていた。oqさんがうらやましい!
 午後4時をすぎて、会場係の方が撤収を呼び掛けてまわっていたので、oqさんはポスターをはがして片づけた。撤収時間になっても通知が来てなかったので、どうやらポスター賞は逃したようだ。U田君の予想は外れた。さあそろそろ帰ろうかと思っていたとき、すでにポスターをはがしたパネルに人がやってきて、パネルの番号を確認している。見に来てくれたのかな。でももうはがしてしまったわ。すまないなあと思ってたら、その方が「優秀賞」の札をはりつけた。なんと!受賞か!U田君、生態学会あかんことなかったです。
 というような、幸せな一日だった。
 僕はこの日はポスター会場をうろうろして気になるポスターをいくつかみたり、口頭発表をいくつかみたり。増井君(P1-010)面白かった。散布と組み合わせて考えてみたい。午後の口頭発表ではクモの話をききたかったけど忘れていてギンリョウソウみてた。ポスターも、前夜にチェックしたうちの半分もまわれず。みるべき発表のチェック漏れにあとから気づくのもたくさんあって、あいかわらずの情弱ぶりを発揮した。
 生態学会はまだあと2日間あって、聞きたい講演や集会がたくさんあるけれど、諸事情で帰らなくてはいけない。後ろ髪ひかれつつ地下鉄にのり、仙台駅でずんだシェイクを飲んでから淡路島まで帰った。学会会場から家まで6時間。鉄道・飛行機・バス・バスのすべての乗り継ぎが順調だったこともあるけど、仙台は案外近い。24日に共同研究の発表が2件あるが、共同研究者からのそちらの報告も楽しみだ。

生態学会2日目

 会場は仙台国際センター広瀬通駅付近のホテルから歩いて行く。大町あたりはジンチョウゲの香りにつつまれていた。
 午前中はT02「種の境界」をすこし見て、ロビーにMatsut氏、北大F田さん、東大U田君がいたのでトラップされに行く。
 午後はシンポジウムS02「保全科学が挑む情報のギャップ」へ。様々な情報のギャップ。なかでも研究と実務のあいだのギャップについて話した高川氏の講演がおもしろかった。保全に必要な根拠法、保全を実現できないタイミングとできるタイミング。保全の現場での経験からの意見は説得力がある。保全のためには理解者・賛同者を得る必要があることから、いかにして賛同者を増やすかということについて「保全心理学」なるものが紹介される。どのようなアピールをすれば人の心が動くのか。けどこれ、ある種の社会的な価値観と心理学をつないでその価値観を広めようとする意図が根底にあるのでなんか怖い。セトラー・プロスペクター・パイオニアの話は面白かった。プロスペクターは日本ではいわゆるマイルドヤンキーというやつか。高川氏はどれも1/3ずつくらいいると言ってたが、この3つの価値観タイプが親から子へ受け継がれやすいものだと仮定すると、プロスペクターは他よりすばやく増えそうだと思った。
 夕刻、フォーラムU05「アクティブラーニングを考える」へ。アクティブラーニングとは何か、なんとなくのイメージはあるが予習不十分なままフォーラムを聞く。元文科省の方からアクティブラーニングのキーワードとして「主体的」と「協働的」が挙げられ、後者については、社会で協働が重視されているからそれに対応できる人材をつくることが目的と説明された。これ、僕のアクティブラーニングに対するネガティブなイメージの本丸かもしれない。協働を重視する根拠が僕にとっては魅力的でなく、また、協働を重視すること自体への不安がある。2010年5月の日記に、「大学は企業がもとめる人材をつくれ」と主張する人をみてげんなりした話を書いたけど、アクティブラーニングはまさにそっち向いてつくられているようで、その点で魅力に欠ける。そして、協働が困難な人を排除しかねないところがアクティブラーニングへの不安として頭をもたげてくる。会場で配られたアンケート用紙(質問紙)でこのことをN氏(アクティブラーニングを実践している)に尋ねたところ、パネルディスカッションで取り上げてもらえたが(たぶん同様の意見が多かったのだろう)、こちらの質問の意図を理解していただけなかったのか論点がはぐらかされたようで残念だった。アクティブラーニングの代表格的にあつかわれる反転授業については、島田氏から納得のいく話がきけた。反転授業は科目数が多いと学生の負担が大きくて無理かもしれないと僕は思っていたんだけど、反転授業の本場であるアメリカの大学では学生の履修している科目が少ないので成立するという話。今後、実践例が増えてくればメリットとデメリットがもっと明確になってくることだろう。このフォーラムではもう1つ気になることがあった。2番目の演者の方が「教育大学なのに教師を目指す人が100%じゃないのが問題」ということを話の流れの中で言ってたんだけど、そんなとこで100%を目指さなくてもええやないか。たしかに、教員志望者が半数以下だと教育大の設置目的を考えて問題ありと思うかもしれないが、7〜8割もあれば十分設置目的を達成してるといえるんじゃないのか。寛容性が低いことは害悪であると思う。おもしろかったが、いままでに出たどの自由集会やフォーラムよりも、もやもやが残るものであった。
 夜はMatsut氏、増井君、oqさん、来年度うちの研究室にくるyg君と飲みに行くことに。師匠とも飲みたかったんだけど、師匠はケータイもたないマンなので連絡とれんかった。飲みに行く前にらーめんたべようと提案したら、意外なことにこれがすんなり通って、おいしい油そばにありつけた。そのあと、ぼんてん漁港という居酒屋へ。

ANA733からの風景

 伊丹10:05発、仙台行き。機材はB767。この時間帯に北東に進む飛行機で右端の窓だったので逆光。朝夕の便にのるときは太陽の方向を考えるべきか。離陸してすぐ雲の上にでた。伊勢湾付近で雲がいったん晴れたけど、またすぐ雲。そのままさいごまでずっと雲の上を飛んでいた。地表はほとんど見えなかった。
 伊勢湾上空で進路をやや北向きに変えてしばらく、南アルプスの稜線上だけ局所的に雲がとぎれていて、急峻な尾根が見えた。その向こうは布団綿のような真っ白な雲海で、その雲海の上に富士山がほんの少しだけ頭をだしていた。富士山もまた真っ白に冠雪しているので、白に白でめだたない。下の写真の中央奥に写ってるけどみえるかな。

 
 仙台空港へのアプローチは一旦太平洋上に出て旋回して東から。着陸寸前、名取の海岸を低空から望む。本来であれば砂丘が発達するゾーンには幅広の防波堤と、盛土の上の海岸林植林。大規模な復興防災工事。