宮脇緑化に対するmahoro_sさんの文章が分かりやすいので紹介します

 もう2週間ほどたつけれど,mahoro_sさんが「緑の防潮堤づくり」に対し生態学的視点から問題点を整理した文章をあげておられる(これ → 仕事だけじゃない日誌(2012-11-19)).これはぜひとも紹介せねば.
 mahoro_sさんの指摘はわかりやすくて適確.とくに「1(1)歴史性の軽視」「1(3)現存する生態系の軽視」はまさにそのとおり.また,この文章には「3.では何を植えるべきか」の節があり,ここでは“住民の希望に沿って考えるべきだけど,何を植えてもいいわけじゃなく,様々な観点から望ましいことやすべきでないことはある”といったことが述べられていて,共感できる.
 いわゆる宮脇緑化(ふるさとの森づくり)への批判的意見はこれまでにもいくつかあった.京都での宮脇緑化に対して遺伝的多様性の観点から批判が書かれた文章を読んだことがあるが,何で見たのか失念してしまった.ポット苗の密植のために生じる根張りの悪さや,それに伴う倒木の危険性といった緑化工学からの指摘も読んだことがあるが,これまた出典が思い出せない.(私の記憶力わるすぎ!)
 植生学会の刊行物,植生情報 第5号(2001年3月)には横国大の小池文人氏による「ふるさとの森づくり」への批判的意見と,それに対する宮脇昭氏の反論が載っている.小池氏は,ふるさとの森づくりの問題点をさまざまな観点から指摘し,結びには「今後は目標とする植生の決定を研究者がトップダウンでおこなうのでなく,市民参加にしたり,地域に暮らしてきた人たちの文化を尊重することが望ましいと思われる」と書かれていて,今回のmahoro_sさんの文章とも通じる.
 宮脇氏による反論では,「今はやりの議論としては,遷移途中相の二次林(里山林)や二次草地なども,見かけ上の生物多様性は満足しているように見える.しかし生態学的な生物多様性とは,単なる火事場の群衆的な種群の集まりではない.それぞれの場所の自然環境の総和を具現し,ダイナミックに持続している群落の多様性こそが基本のはずである」との下りがあり,確たる根拠の示されないままに“潜在自然植生が基本”という基本姿勢だけが強調されていて,まさに「歴史性」や「現存する生態系」を軽視した発言が展開されている.
 宮脇氏のふるさとの森づくりは,1970年当初には一定の意義があったが,現在の自然環境・社会環境のもとでは,生態学や植生学の観点から問題が多いといわざるをえない.これは,多くの生態学者・植生学者・生物系技術者の共通する認識であると思う.mahoro_sさんの文章のようにまとまって指摘されることは少なかったかもしれないが,少なくとも僕が建設コンサルで働いていた1990年代後半には研究者だけでなくコンサルの生物系技術者にも,宮脇緑化は問題があるとの認識があった.あれから15年ほどたつというのに,いまだに宮脇緑化は一般の方やマスコミには受けがよい.