学会誌等における書評の意義(専門書のピアレビュー役)

 で,編集委員会でのおはなしはそこまでで,ここからはうえの2つめの理由をもとにちょっと考えたこと.
 …じゃあ,書籍の引用ってどうなんだろうか.書籍の多くはピアレビューを受けていない.しかし,論文では書籍を引用することは普通におこなわれている.ってことは,科学的信頼性は引用の可否に関係ないってことか?そうではないだろう.
 書籍の著者がその分野の権威だからOKなのか?それは論外な意見だ.権威だって間違ったことや嘘クソを書くこともある.思い込みに縛られてることもある.耄碌することだってあるだろう.それに,権威ではない人の書籍はどうすんの?
 書籍(専門書・科学書)では扱われる内容のほとんどが二次資料であり,もととなる一次資料はピアレビューを経た論文(がほとんど),だから書籍の引用が可能,というのはどうだろう.たぶんそれは部分的にはアリ.だよね.
 でも,書籍が含む内容に一次資料があることもあるし,二次資料であったとしても独自の視点から一次資料を料理しているわけで,そのままでは科学的知見としての信頼性は担保されていないじゃないか.
 そこまで考えて,あ,そうか,と思ったのが学会誌の書評だ.

 学会誌に掲載される書評は「専門書のピアレビュー」として書かれる必要があるんじゃないか.

 しーん…………あれ?それって常識?みんなそれ知ってた?…………無知ですいません.
 まあ,僕はそういう常識が欠落しているようなのだけど,とりあえず,学会誌に掲載される書評には,そのようなとても重要な役割があるってことに遅まきながらも気付いたわけですよ(書評において書籍の信頼性について触れるべきってことはうすうすわかってたけど,そこにピアレビューとしての意義があることに気付いたって意味です).

 もっぺん書いとこう.学会誌に掲載される書評というものは,たぶん,専門書のピアレビューたることを明確に意図して書かれなければならないです.そこでは,対象となる書籍の信頼性の判定を,科学的な妥当性の判断を,どこが使えてどこが使えないかの峻別を,きっちり書かなければいけないです.多分ね.
 その意味で,おなじ書籍の書評を複数の人が書くことも大いに意義がありますね.
 僕が末席を汚しているところの某学会は,もっとこの分野の書評を(ピアレビューとしての書評を)扱った方がいいな.

 あ!だからか!書評は科学の発展に寄与する大切な部品だからこそ,よい学会誌にはたくさんの書評が掲載されてるのか!(←もう,ほんとに,sawagani550は鈍ちんやねえ)


 そう思って,書評の書き方を書いた文章をネットでさがしてみたら,たとえば向後千春さんという方のブログに書評に含まれるべき要素が4つ示されていて,そのうちの1つとして「その本の妥当性,信頼性」が挙げられております.