とつぜん,ききとり調査
朝から淡路市の方が来られて打ち合わせ.23日に霊仙(じょうぜん)という集落でひらかれる秋祭りで,ため池のお話をしてほしいというご依頼.ため池はゼミの学生が研究しているので,その学生に話をしてもらうことにして,学生と僕と市の方と3人で打ち合わせ.お話をするほか,ブースを1つもらってパネル展示もすることにした.さらに,当日販売するお米に,ため池のパンフレットを添付させてもらえるかもしれない.というわけで学生J君,おおいそぎで発表の用意とパネルとパンフレットをつくるのだ.協力は惜しまないZ.
この市の職員の方,実は霊仙のご出身.御年50才くらいとお見受けいたした.打ち合わせついでに,この方から伺ったお話がおもしろかったので,ここにメモっとこう.浜からそう遠くない山間集落で淡水魚を食べていたというところがぼくにとってのおもしろポイント.あと,はじめて聞いた方言いくつか.
- 小学生のころ(40年くらい前)は,秋の収穫がおわったあとでため池の池干しをした.そのときにコイやらフナをつかまえて食べた.
- どの家も,そのときに使うための網をもっていた.まるい枠に張った網やら,Y字型の枠に張った網.(手振りでは幅あるいは直径1mくらいの網のようだ.おおきなタモ網やサデ網か)
- コイはあらいや味噌汁にした.フナは骨ごと小刻みにして酢づけにした.どっちもほんまにおいしかった.コイは一尺五寸が食い頃.
- むかしは浜まで魚を買いに行くのもたいへんだったので,池や川の魚も食べていた.
- 池干しのときはウナギもとった.エビもとった.エビはいまでも池にたくさんいる.
- 川では子供らが「ドボコ」を釣った.これは味噌汁にした.(ドボコって何かを聴いてみたら,どうもドンコかヨシノボリのようだ.写真を提示して確認したかったが,すぐに図鑑がでてこなくてできず.次にお会いした時に確認しよう)
- 湿田がいまでも少しは残っている.湿田はおいしいお米がとれる.(その理由はと聴いてみたが,はっきりとはわからないとのこと.湿田の粘土がよいのか,あるいは湿田は一毛作になるのがいいのか,とのこと)
- 湿田のことは,このあたりでは「ジュルタ」と呼ぶ.
- 湿田で刈り取り前に排水のための側溝を掘る.その側溝のことを「ヨケ」とよんだ.(昨年度の学生の聞き取りでは,「ヨケ」ではなく「ネキ」という言葉を聞き取っていた.淡路島でも地域によって言葉が違うようだ.ただし「ネキ」とよんでいたのは霊仙からそう遠くはない地域(生田あたり))
- 「タロベエ」・・・イモリのこと