鈴鹿川河口散歩→民族大移動

 知人の案内で三重県四日市市鈴鹿川河口・吉崎海岸・鈴鹿川派川河口で散歩。鈴鹿川鈴鹿川派川に挟まれた河口デルタ。四日市コンビナートのすぐそばに、ちいさな漁港があったり、かつての潟湖か氾濫原の名残りのような養鰻池があったり、河口にはヨシ原や塩湿地があったりと、時の流れに取り残されたようなふしぎなエリア。
 2年ぶりに訪問した吉崎海岸では、養鰻池の周りにソーラーパネルが並んでいた。人間が遊ばせてる土地は生き物の楽園になってたりするが、ソーラーはそういうところを狙い撃ちにしてくる感がある。田舎に住んでいると、あなたの持ってる遊休地にパネル並べませんか、といった折り込み広告がときどき入ってるのできっとそのせいだ。ほんまかな。
 鈴鹿川河口ではセグロカモメとハジロカイツブリ。ハジロのくちばし上に反ってる感は双眼鏡観察でわかったためしがない。ミミとならんでたら分かるのか。
 吉崎海岸の養鰻池ではミサゴ、ホシハジロキンクロハジロコガモハシビロガモ、カワウ、アオサギジョウビタキセグロカモメミシシッピアカミミガメ。カメは大きな個体に見えたが、コガモとならんだらコガモに負けてた。そんなもんか。防波堤の上でなにかのペリットか糞のようなものを拾う。ハゼノキのたねや貝殻のかけらがたくさん入っている。カラスのペリットかな。
 鈴鹿川派川河口ではオナガガモコガモキンクロハジロ、ユリカモメ、ウミアイサ雌、スズガモ、オオバンハクセキレイオオバンはしきりに潜水して海藻だか海草だかを食べていた。干潟でアイアシとフクド(たぶん)。コンクリ目地にタイトゴメ。ホシハジロの死体がひとつおちていた。背中の羽毛の模様がとても繊細で美しい。わりと新鮮な死体で、持って帰りたかったが道具がなかった。残念。大人が鳥を眺めてる間、9歳の男児はフリースの上着を着てコセンダングサ群落に突撃しハリネズミのようになっていた。6歳の男児は貝殻を拾い集めているうちに波打ち際に突撃し、長靴の中に砂混じりの海水を大量に流入させて意気消沈していた。
 杉かなにかの根株が漂着していて、樹皮がすっかりはがれている。樹皮下で昆虫が食い荒らしたのか、表面に複雑な模様が描かれていた。9歳男児はサルとおっさんがにらめっこしてる模様を見つけ出し、6歳男児はおすもうさんの絵がかいてあると言っていたが、どこをどう見立てるとそう見えるのかはよごれちまつたおっさんたちにはよくわからなかった。
 合計2時間弱で散歩を終え、荷造りをして神戸へ向かう。9歳男児四日市の祖父母宅に居残り、6歳男児のみ連れて帰る。名神の茨木付近で少し渋滞。中国道にスイッチしたあたりで日没。三日月と明星が南の空にならんでてかわいい。神戸で一般道に降りたらすこし渋滞。田舎育ちの6歳男児は「高速道路じゃないところでも渋滞ってあるの!?」とカルチャーショックを受ける。神戸の実家で妹家族とあそんでから淡路へ。まったりとした正月を終える。

ひかりのどけき(←気が早い)

最近、夜は眠くて、大晦日の夜、9時過ぎに蕎麦食べてすぐに寝落ちる。元旦、5時に起きたのに諸事情により初詣に行かず留守番。で、何年ぶりかで御来光を拝まない正月。
焼いた角餅に餅菜と削り節の入った雑煮とおせちを食べ、初売りの掘り出し市へ出向き、椎茸ドリルビットとうどん打ちのこね鉢を買う。こね鉢は案外大きくて、こんなん買ったらじゃまかなと家族に問うたら、うちには納屋というブラックホールがあるから大丈夫と、先行きの不安を感じないでもない答を得る。
昼にまたおせちを食べ、ノートパソコン開いて学生の研究のデータを見て間違いに気づき修正を試みる。
ここ数年の元日の恒例で、家族で映画を見に行く。今更ながら「君の名は」を見た。僕は情報収集能力は人並み程度だが、情報遮断能力は抜群。飛騨と東京が舞台であることも、尾道三部作な内容であることも知らず、たいへん楽しめた。引戸の開け閉めが印象に残る。あと、低体温症が心配だったり、そんな暮れから高い山登ったら遭難するでと心配になったり。
四日市駅前のスーパーでスーパー調査とカキ調査。三重産の牡蠣に会えず。鮮魚売り場のイサキとカサゴが美しかった。かちりちりめんという関西では見慣れぬ名前のちりめんじゃこ。上乾ちりめんのこちらの呼び名だろうか。
夕におせちを食べ、学生の研究データを眺め、レイトショーでローグワン。これまた抜群の情報遮断能力を活かして楽しんだ。EP8だと思ってたらわーそんな時代の話だったか。めちゃくちゃ黒澤時代劇だった。
色々書き散らかしたが、どうか読む方の情報遮断能力が抜群でありますように。

かごのき、みつばち

 学生Tさん、カゴノキの葉の裏の粉白色の部分をみつめていたが、なぜだか突然それを自分自身の鼻に押し当てた。そして発見した。カゴノキ、あぶらとりがみの代わりになる。僕もためしてみたが、たしかに鼻の油をすっきりと吸い取ってくれる。なんで?
 カラスザンショウとタラノキクサギの花が盛り。タラノキの花にはものすごい数のニホンミツバチが訪花していた。あまりにたくさんいるからか、ハチのにおいがした。蜜蜂の巣箱の中でよく嗅ぐあのかおり。でも、もしかしたらこれはタラノキの花の香かもしれない。

PCのことを考えずにPCを使いたい

 先月17日にメインで使っているデスクトップPCがおかしくなった。起動後3分ほどたつと、あらゆる動作にものすごく時間がかかるようになる。とくに読み書きの速度が尋常でなく遅い。ハードディスクの不調であろうと隣室のYさんが言った。たいへん多忙な時期になんということか。修理に出すための事務作業は僕のいちばんの苦手分野なので手を出す気にもなれない。とりあえずちょっと暇になるまでノートPCを使おう。それでここしばらくずっとノートPCだけで仕事をしていた。デスクトップは明日か明後日に修理を手配しよう。そう思い続けて、一日ずつ先送りすることを40回ほどくりかえしてついに今日にいたる。そしてさきほどノートPCの画面がぷつっと音を立てて突然真っ白になった。何もうつさない。再起動したがだめだ。真っ白だ。眩しいくらいに真っ白だ。しょうがないのでデスクトップPCで使っていたモニターにノートPCをつないで作業をはじめた。さすがにこの状態を先送りしつづけるのはあほだと思うので、明日さっそく修理の依頼をしよう。と思ったが、あかん、明日は西宮に出張だから明後日にしよう。と思ったが、あかん、明後日は島の南の山の中に出張だからしあさってにしよう。と思ったが、あかん、しあさっては土曜日だ。来週にしよう。けど週が明けるそのころにはきっとデスクトップPCのハードディスクが壊れているらしきこともノートPCのモニターが壊れていることも日常の風景に溶け込んで、なにごともなかったかのようにケーブルでモニターにつながれたノートPCを使うのだ。いやいや、さすがにそれはあほすぎるので、どないかしよう。いややなあ。ひごろのPCは便利などうぐだけど、不調になったときはどんな機械よりも不便な道具。ほとんどの機械は修理のときには代替機を問題なく使えるのにPCはそうはいかない。買い替えたときも元の使用環境を整えるの手間も時間もかかる。中身の全てを、データだけじゃなくてソフトも設定も、すべてストレスなく自動的に代替機や後継機に引き継げるようなそういう仕組みにはならないのだろうか。そうあってほしいものだ。

草刈りの最適化

 午前中は畑と畔の草刈りをする。いろいろな果樹を植えた畑は、これから先、全体を耕すことはなく、きっと草刈りばかりがつづく。地下部への攪乱がなく地上部だけに攪乱を与え続けるので、いずれ多年草だらけになるかもしれない。今日刈った場所で目立ったのは、コセンダングサエノコログサ(たぶんアキノ)、スギナなど。コセンダンは、夏を越したらめんどくさくなる相手。いまのうちに刈りまくる。畔はヒメジョオン祭り。今年は花つきがすごくよくて、まっしろな花畑。たしかにきれいではある。ヒメジョオンを刈り倒すと、下からヤマハッカやヨメナやコナスビが顔を出す。
 梅雨に入る前の5月に一度刈った場所では草がやわらかくて刈りやすい。エンジンの回転を低く抑えていても、草刈り作業はすいすいと進む。一方、5月に刈らなかった場所ではセイタカアワダチソウヨモギの茎が太く硬くなっていて、さらに茎の上部にクズやカエデドコロが絡みついていて(カナムグラはまだそこまで激しくのびてない)地際を刈り払っても草が倒れないので作業性がとても悪い。刈り進む速度が遅くなる。やわらかくて蔓の絡んでいない草を刈るのに比べて2倍以上の時間がかかっているなら、5月と6月の2回刈った方が合計の草刈り時間は短いことになる。おまけに草刈り機の燃料も少なくて済む。太くて硬くて蔓が絡んだ草を刈るのは、力がいるし、刈ってて楽しくない。まめに刈ることが結局は楽。鎌で刈っていたころなら、その差はもっと大きかったかもしれない。
 それで、来年からは梅雨入り前に一回目の草刈りをおわらせておこう、と思った。こんな僕でも一回やったらそういう反省がでてくるのだから、古くからの農家の方が畔の草をかる時期と回数は、少ない労力で最大の成果が得られるようにたぶん最適化されているだろう。そして、そのような草刈りのもとで畔の草原が維持されてきた。農家の方には、多様性云々より、「この時期・回数で草刈りをすることが畔の草を抑える一番楽な方法だ」ということを示したうえで、「その時期・回数で草を刈るとこんないろんな草花が生きられる」ということをおまけとして示すのがよさそうに思う。というわけで僕は、いちばん楽な草刈りの回数や時期を知る必要がある。
 農家はできれば草刈りを楽したいと思っていて、草原の多様性なんかは気にしていない。だから、近年では除草剤をまいたり、コンクリを塗ったり、ムカデシバやヒメイワダレソウを植えたり、いろいろ試している。除草剤は畔がくずれやすくなるというデメリットがあり、そのことを多くの農家の方から実体験として聞く。除草剤はあかんかったなあ、というのが農家の認識として広まってきているようだ。これが広まることで畔に除草剤を播く例は減っていくだろう。ムカデシバやヒメイワダレソウはどうだろう。コンクリはどうだろう。畔に草が生えていることの意義、農家にとってのメリットが見えてくると、草刈りをつづけて、畔の草原を維持する理由がわかりやすくなる。

何某

 島の南の二次林で毎木調査。よくわからないカシ類がでてきた。さいしょはアラカシだと思ったが、なんか違うような気がする。同じプロットにこれぞアラカシというべきアラカシが現れ、それと比べると葉も樹皮もえらく違う。かといって思い当たるカシがなく、これ何ガシやろかとつぶやいてるうちに興が乗ってきて、それがしはなにがしじゃなどとたわむれる。これって植生調査あるあるでしょうか?結局たぶんアラカシでした。

野で焼くことを禁止する法律は野を焼くことを禁止しているか?

 2000年に法律で野焼きが禁止されたことで、植生管理のための火入れもやりにくくなったような気がしていたのだけど、ちょっと違うかもしれない。これまで僕は、「野焼きは法律で禁止されてるけど、“農林業関係の野焼き”“風俗慣習上の野焼き”は例外として認められてるから、野焼き(草原の火入れ=野を焼く)は全国各地で実施できてるんだろう」くらいの認識をしていた。けど、なんか違うような気がしてきた。この法律は廃棄物処理法のことで、廃棄物の焼却に関する規定として野焼き(廃棄物の野外焼却=野で焼く)を禁止してる。一方、野を焼くときに燃やしているものは、野で立ち枯れている草であり、地面にふりつもった自然の落葉落枝であって、これらははたして廃棄物か?土手で草刈りをして、刈った草をあつめたら、それが廃棄物だというのは理解できる。けど、自然にそこにある生き物の残骸は廃棄物とよべるのか?というわけで、表題の疑問である。廃棄物処理法は野で焼くことを禁止しているが、野を焼くことを禁止してるのか、気になる。
 以下、法律についてちょこっと覚書。

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 1990年代の後半、たき火や野焼き(ゴミの野外焼却)がダイオキシンの発生源だと騒がれていた(その当時に書かれたウェブ上の記事から当時の雰囲気が伺える。たとえばこれ)。その流れで「廃棄物の処理及び清掃に関する法律廃棄物処理法)」が2000年に改正された。
 廃棄物処理法の2000年の改正で盛り込まれた焼却禁止の条項は、第十六条の二である。

 (焼却禁止)
第一六条の二 何人も、次に掲げる方法による場合を除き、廃棄物を焼却してはならない。
一 一般廃棄物処理基準、特別管理一般廃棄物処理基準、産業廃棄物処理基準又は特別管理産業廃棄物処理基準に従つて行う廃棄物の焼却
二 他の法令又はこれに基づく処分により行う廃棄物の焼却
三 公益上若しくは社会の慣習上やむを得ない廃棄物の焼却又は周辺地域の生活環境に与える影響が軽微である廃棄物の焼却として政令で定めるもの

 
ここで、政令で定めるものを除くとしているので、政令も見てみる。廃棄物処理法に係る政令廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行令」の第十四条に、焼却禁止の例外について書かれている。

(焼却禁止の例外となる廃棄物の焼却)
第十四条  法第十六条の二第三号 の政令で定める廃棄物の焼却は、次のとおりとする。
一  国又は地方公共団体がその施設の管理を行うために必要な廃棄物の焼却
二  震災、風水害、火災、凍霜害その他の災害の予防、応急対策又は復旧のために必要な廃棄物の焼却
三  風俗慣習上又は宗教上の行事を行うために必要な廃棄物の焼却
四  農業、林業又は漁業を営むためにやむを得ないものとして行われる廃棄物の焼却
五  たき火その他日常生活を営む上で通常行われる廃棄物の焼却であつて軽微なもの

 
これらが何を想定したものであるかは、法律が改正されたときの通達「廃棄物の処理及び清掃に関する法律及び産業廃棄物の処理に係る特定施設の整備の促進に関する法律の一部を改正する法律の施行について」(環境省2000年9月28日)に詳しく書かれている。

第一二 廃棄物の焼却禁止
 一 焼却禁止の規定は、これまで行政処分では適切な取締りが困難であった悪質な産業廃棄物処理業者や無許可業者による廃棄物の焼却に対して、これらを罰則の対象とすることにより取締りの実効を上げるためのものであることから、罰則の対象とすることに馴染まないものについて、例外を設けていること。
   したがって、焼却禁止の例外とされる廃棄物の焼却についても、処理基準を遵守しない焼却として改善命令、措置命令等の行政処分及び行政指導を行うことは可能であること。
 二 一般廃棄物処理基準、特別管理一般廃棄物処理基準、産業廃棄物処理基準又は特別管理産業廃棄物処理基準に従って行う廃棄物の焼却とは、これらの廃棄物の処理基準を遵守して焼却されることをいうものであって、焼却を行った者に処理基準が適用されるか否かは何ら関係ないものであること。
 三 他の法令又はこれに基づく処分により行う焼却としては、家畜伝染病予防法(昭和二六年法律第一六六号)に基づく患畜又は擬似患畜の死体の焼却、森林病害虫等防除法(昭和二五年法律第五三号)による駆除命令に基づく森林病害虫の付着している枝条又は樹皮の焼却などが考えられること。
 四 国又は地方公共団体がその施設の管理を行うために必要な廃棄物の焼却としては、河川管理者による河川管理を行うための伐採した草木等の焼却、海岸管理者による海岸の管理を行うための漂着物等の焼却などが考えられること。
 五 震災、風水害、火災、凍霜害その他の災害の予防、応急対策又は復旧のために必要な廃棄物の焼却としては、凍霜害防止のための稲わらの焼却、災害時における木くず等の焼却、道路管理のために剪定した枝条等の焼却などが考えられること。
   なお、凍霜害防止のためであっても、生活環境の保全上著しい支障を生ずる廃タイヤの焼却は、これに含まれるものではないこと。
 六 風俗慣習上又は宗教上の行事を行うために必要な廃棄物の焼却としては、どんと焼き等の地域の行事における不要となった門松、しめ縄等の焼却が考えられること。
 七 農業、林業又は漁業を営むためにやむを得ないものとして行われる廃棄物の焼却としては、農業者が行う稲わら等の焼却、林業者が行う伐採した枝条等の焼却、漁業者が行う漁網に付着した海産物の焼却などが考えられること。
   なお、生活環境の保全上著しい支障を生ずる廃ビニールの焼却はこれに含まれるものではないこと。
 八 たき火その他日常生活を営む上で通常行われる廃棄物の焼却であって軽微なものとしては、たき火、キャンプファイヤーなどを行う際の木くず等の焼却が考えられること。

ここでは、風俗慣習上の例外も、農林業関係の例外も、どっちも野を焼くことは想定されていなかった。それで、廃棄物ってそもそも何かが気になるので、もういちど廃棄物処理法をみてみる。

(定義)
第二条  この法律において「廃棄物」とは、ごみ、粗大ごみ、燃え殻、汚泥、ふん尿、廃油、廃酸、廃アルカリ、動物の死体その他の汚物又は不要物であつて、固形状又は液状のもの(放射性物質及びこれによつて汚染された物を除く。)をいう。

 
政令やらいろいろみて例外のことをしらべたけど、それ以前の問題だったかもしれない。どうも野で立ち枯れた草や、地面に降り積もっただけの落葉落枝は廃棄物ではなさそうだ。ということで、やっぱり野で焼くことは禁じられているけど、野を焼くことはこの法律の範囲外のように思える。「野焼き」という言葉が同じなだけで、野外焼却は禁止されてるけど、草原への火入れはぜんぜん関係ないんじゃないか。いまさらこんなこと書いてるのは周回遅れかもしれませんね。