だん

 「淡」の音読みは「たん」が一般的だろうと思っていたが、淡路島の略称としての「淡」は「だん」と読むことが多い。理由は知らない。淡路のナゾのひとつ。
 平成大合併前の町名「北淡町」「西淡町」「南淡町」はそれぞれ「ほくだんちょう」「せいだんちょう」「なんだんちょう」である。淡路信用金庫の略称は「だんしん」で、淡陽信用組合の読み方は「だんよう」だ。淡路麺業株式会社の略称は「だんめん」で、最近DAN-MENという生パスタのお店をオープンさせていて、とてもおいしい。タイルで有名なダントー(株式会社Danto Tile)はもともと淡路島発祥の会社で、前身は「淡陶社(だんとうしゃ)」である。1966年に廃止された島の鉄道「淡路鉄道」の略称は「だんてつ」だった。淡路交通子会社の自動車整備工場は「ダンコーサービス」で、ダンコーは淡路交通の略称であろう。淡路交通バスはしかし「だんこうバス」とはよばれていない。ただ僕のまわりにいないだけでそう呼ぶ人はいるのかもしれない。兵庫県立淡路高校の前身は県立淡路農業高校で、略称は「だんのう」だ。いまでも40歳以上の人は淡路高校のことを「だんのう」と呼ぶことが多い。けど今の淡路高校の略称は「だんこう」じゃなく「あわこう」だ。「淡」を「だん」と読む習慣も今は昔になりつつあるのか。
 「たん」と読む場合もあって、明石と淡路(岩屋)を結ぶ連絡船「ジェノバライン」は、以前は「明淡高速船」という会社が運営しており、その前は「播淡汽船」。それぞれ「めいたんこうそくせん」「ばんたんきせん」で、「だん」じゃなくて「たん」だった。
 僕がいたいけない高校生大学生だったころはまだ播淡汽船の時代で、高速船ではなく足の遅い船だった。デッキで風に吹かれながら明石海峡をわたるのは、当時神戸に住んでいた僕にとって、4月末から5月の楽しみだった。毎年その季節に2回くらい岩屋の海に遊びに行っていた。そのころ播淡汽船のデッキからスナメリをみたのが1回、イルカをみたのが2回ある。そのうちの1回は、乗っている船の引き波にイルカが戯れてきて、ふなべりから2mくらいまで近づいてきて並走したのだった。大阪湾の端っこで出会うイルカにめっちゃ興奮した。その季節に僕が明石海峡をわたってた理由の一つはアカエリヒレアシシギの煙のような大群をみることだった。高速船になる前はアカエリヒレアシシギの方がスピードが速く、船のまわりをまわるように飛び交っていたように思う。高速船になるとヒレアシシギが船を追い越すような場面はなくなった(ような気がする)。いまは煙のような大群がそもそもやってこない。あのこたちはどこにいったのか。そういえば、そのころ岩屋の漁師さんと話をしていて、アカエリヒレアシシギのことを「うみすずめ」と呼んでいたなあ。1990年ごろだ。播淡汽船は2001年に明淡高速船となり、僕が淡路島に引っ越してきた2007年には現在のジェノバラインに業務を引き継いだ。それでもたしか昨年あたりまでは明石港のすぐ北側の交差点の名前は「播淡汽船前」で、信号機に取り付けられた看板に播淡汽船の名前がのこっていた。今は交差点名が変わり、看板にも「明石港前」と書かれている。