卒業写真のあのころは

 午前中は地区の文化祭へ行く。2010年3月で廃校になった小学校が会場。地域の人たちの作品(絵や写真や染めた布や木工品など)を展示していて、校庭の片隅ではバザーが開かれている。野菜の青空市があるけど来てる人のほとんどが農家だから飛ぶようには売れない。地域活性化にとりくむ人たちのお店でオリジナル商品「いちじくのコンポート」を買った。とてもおいしい。福祉団体が大判焼きを1個50円で売っていたので買って食べた。地区の子供会は豚汁とわたがしを売っていたので豚汁を買って食べた。体育館の一角では、1931年度から2009年度までの小学校の卒業写真が展示されている。それをみて自分の親や祖父母を探す人たちがいる。何代にもわたって同じ地区に住み続けているということだ。ただそれだけのことが新興住宅地育ちの僕には新鮮だ。1935年度から1941年度あたりまでは男子のほとんどが詰襟で一部が袴。女子のほとんどが袴で一部がセーラー服。1943、1944年度は男子はほとんど国防服、女子はほとんどモンペだ。1945年度の卒業写真(つまり1946年3月。戦後最初の卒業式)では男子は国防服と詰襟が混在、女子はモンペとセーラー服が混在。1971年度は男子は詰襟・女子はセーラー服の制服で、この年が最後の制服の年。翌年から私服。校舎は1968年度まで木造校舎で翌年から鉄筋校舎。同時に、卒業写真がモノクロからカラーへ。2010年3月の最後の卒業写真では、2人の卒業生が10人の先生に囲まれて写っていた。
 午後、職場へ行って仕事をしようと思っていたが、相方がジャガイモを植えるというのでいっしょに畑へ行った。相方は先週立てた畝にたねいもを230個ばかり植え付けていた。その横で僕は、ついこないだ8歳と5歳の男児が投げ合っていた馬糞堆肥をネコ車にのせて畑に広げ、ヰセキマイペット400で耕し、じょれんで畝をたて、それしきのことで腰がいたい。
 耕耘や畝立てをしていると、ハクセキレイハシボソガラスツグミがやってきて、掘り起こされた地面からなにかをついばんでいる。ハクセキレイはすぐそばまで寄ってくる。