但馬エクスカーション(加保坂・ミズバショウ自生地)

 養父市加保坂のミズバショウ自生地へ移動.蛇紋岩地帯.周囲をアカマツ林に囲まれた小さな湿地に遺存する隔離分布のミズバショウ.1975年にここが発見されるまでのミズバショウ分布西限は福井県勝山,南限は岐阜県蛭ヶ野だった.160?の隔離分布.湿地は全体に傾斜している.傾斜地なのに湿地.湿地の脇にデッキが設けられていて,デッキから観察をしていると,地元在住の管理者の方が解説をしてくださった.

 この湿地は100m×40m,デッキから見渡せる範囲が湿地のすべて.上側の森林との境界部から湧水がでて,湿地を涵養する.湧水の温度は今日は12℃,夏でも15℃.オオミズゴケが1mの厚さで堆積しており,湧水はオオミズゴケの層の中を流れていき,(斜面の)下の方まで温度があがらない.昭和45年頃の調査で花粉分析をしていて,ミズバショウは最終氷期以降ここにあったことがわかっている.
 ここのミズバショウの特徴は南限にあること,小型であること,葉が斑入りであること.斑入りのミズバショウはここ以外では岐阜県蛭ヶ野と福井県勝山に知られている.岐阜は斑入りと斑入りでないものの両方があり,斑入りのものは天然では絶滅したと聞いている.
 かつてはこの土地は湿地で使えないからほったらかしにされていた.危ないから入るなとも言われていた.昭和45年に地元の高校の先生と生物部が調査に入ったときは膝まではいるくらいぬかっていた.生徒のひとりは長靴がぬげてしまい,その長靴はいまも湿地のどこかにのこっているといわれている.
 昭和40年頃,この地域はホウレンソウの産地で,農地開発をすすめており,この湿地も開発予定区域とされていた.当時の土木技術ならこの湿地を農地に転換することは可能だった.しかし,ミズバショウがみつかって,岡山理科大学などが調査をおこない,この重要性が明らかになり,農地開発から逃れた.

 農地開発を逃れた話ははじめて聞いた.残ってよかった.斑入りはここだけでなく,かつての分布西限・南限とされていた場所にもあったというのが興味深い.ミズバショウの遺伝的な地域性が気になる.