里山の授業で聞いてみる

 兼務先専門学校で里山の授業をおこなう。例年このクラスの年齢構成は幅広く、20代の若い人から僕よりずいぶん年上の方までいる。牛を使った田起しや、風呂や台所での薪炭利用をリアルに体験した世代が含まれる。せっかくなので、いつごろまで薪でお風呂を焚いていたかを尋ねている。昭和40年(1965年)くらいまでやったなあ、といった声が教室で聞かれる。日本の炭や薪の生産は1950年ごろから1965年ごろにかけて急速に低下しているので(総務省統計局「日本の長期統計系列」)、教室で語られる体験はそれとよく合っていると思う。里山保全に注目があつまるのは1980年代後半。薪炭利用がほぼ止んだ年を1965年とすると、そこから20年以上たった頃だ。いいかえれば、里山林の最も若い林分でさえ放置されて20年以上が経過し、本来の伐採適期を過ぎた頃。注目されてしかるべきタイミングだったんだろうなあと思う。そのタイミングで、トトロが1988年、維管束植物RDBが1989年、環境省の最初のRDBおもひでぽろぽろ(映画版)が1991年。
 リアルタイムで経験していると、10〜15年くらいをかけて生じる変化はそれほど急速なものとは感じない。けど、振り返ってみれば、短期間のものすごい変化だと思える。燃料革命もモータリゼーションも、データをみれば、過去の一時期におこった急速な変化に見える。この二つの変化は自分はぎりぎり体験できなかった世代だ。自分の体験のうち、そのような変化があったものといえば、インターネットと携帯電話の普及による生活や社会の変化が筆頭だろう。で、インターネットはいつまであるのだろう。
 この授業は神戸市中央区のサテライト教室で実施。せっかく都会にでたのでお昼はおいしいラーメン屋へ行き、帰る前にはハウネベイヤーで塩パンを買い込んだ。