淡路島での植栽事情ききがき

 淡路島で古くから造園業を営んでいる方にインタビューをした。

 昭和のはじめごろ(?)、西宮や芦屋の海岸植栽用にウバメガシやヤマモモの山採り苗を洲本港から船に積んで出荷していた。昭和20年代の終わりごろから昭和30年ごろにもウバメガシのタネを宝塚の苗木生産業者に送っていた。
 淡路島で山腹緑化にウバメガシが使われた最初は、鳴門岬。本四道建設に伴う切土法面。国立公園の第一種特別地域にあたり、植生の復元が求められた。夢舞台(淡路島北部の土採り跡地)と同じように岩盤にひな壇をつくってクロマツ・ウバメガシ・トベラのポット苗を混植した。苗は九州の種苗会社から調達したもの。植栽時期は本四道開通の数年前だから1980年から1983年の間。クロマツはその後、松くい虫の被害でなくなった。
 本四道の洲本インターチェンジより南側の中央分離帯には高知県から取り寄せたウバメガシが植えられたが、最近になって維持管理費を抑制するために抜いている。
 夢舞台の緑化(1990年代)のウバメガシはほとんどが九州から。
 おのころランドの護岸背後のダンチクは植栽されたもの。高知からとりよせたダンチク。植栽時期は同施設のリニューアルのときなので1998年ごろ。

 淡路島で松枯れが最初に発生したのは由良の生石。昭和25年から。外材を積んだ船が紀伊水道を通っていたことが原因ではないか。その後、5年周期くらいで松枯れが流行った。
 当初は、クロマツは弱いがアカマツは強いと認識していた。しかし、のちにアカマツも耐えられないことがわかった。また、太い木は弱いが若い木はヤニが旺盛にでるので大丈夫だと思っていたが、そうでもなかった。