フレンチブルーミーティング2015

 今年は植生学会とFBMの日程がずれているので、4年ぶりにFBMに参加した。FBMに行くときは、のんびり植物をみたり石ころをひろったりする時間は少なく、ひたすら車趣味に没頭する。
 17日(土)の6:30に8歳と5歳をつれて家を出発。チキチキマシーンは順調に走る。関西を走っている間はそれほどフランス車に出くわさない。本四道で先代ルーテシア、中国道で現行ルーテシアとクリオV6、名神でキャトル1台をみかけただけ。名神から中央道に分岐したところから状況は一変し、車山を目指すフランス車の群れをみかけるようになる。小牧ジャンクションからとてもきれいな赤色のプジョー1007としばらくいっしょに走り、恵那峡SAに入って軽く挨拶を交わす。恵那峡SAではキャトルクラブ中部支部の方と合流し国道19号を北上。途中、大桑村の道の駅で休憩。目の前をながれる木曽川で石ころ拾い。川砂がとてもきれいだったので30ccほど採取。権兵衛トンネルをぬけて伊那ICから中央道、長野道にのりかえ岡谷ICで降りる。国道142から県道194で霧ヶ峰へ。ビーナスラインでは仏車以外にもさまざまな趣味色の強い車をみかける。2000GTが何台もいたのにはおどろいた。霧ヶ峰でクラブの車列から一旦離脱して、八島ヶ原の高層湿原を散策。8歳と5歳ははじめての高層湿原のはず。ビジターセンターでは「今は花の時期はおわってて、残り咲きの花が少しあるくらいです」といわれて散策路へ行った。花の時期がおわったら実の時期である。じつに豊かな草本の結実を楽しめるのに、これを売りにしないとはちょっともったいない。チェックイン時間の制限があるので散策は30分ほどで切り上げてホテルへ。16:20ごろに到着。休憩込みでほぼ10時間。滋賀に住んでいたころは車山はそう遠くなかったが、淡路からだとずいぶん遠くに感じる。チェックインを済ませ、ホテル周辺を散策し、温泉に入って夕食。クラブの関東支部の方たちとも合流し旧交を温める。
 
 翌18日(日)。朝はやくからホテル周辺を散策。みごとな雲海。8歳と5歳はシカをみつけて大喜び。9時にFBM会場へ。クラブの方と車談義。発電関連のトラブルについての情報交換。エンジンルームを観察するなど。グループPからメイン会場まで駐車場にあつまっているレアなフランス車を愛でながら散歩。マトラジェット6が激レア物件。ジムカーナを観戦し、フリーマーケットで散財し、8歳と5歳が写生大会に参加したりしてるうちに昼。ホテルにもどって昼食を食べ、ふたたび会場に舞い戻るころには帰路に就くべき時間となる。2時に会場を出発。恵那ICあたりまでクラブの中部支部の方とランデブー。中央道は小牧ジャンクションまで断続的に渋滞。土岐あたりで日没。ヘッドライトを点灯して走っていると、ブレーキを踏んだ時にラジオの電源が落ちた。発電不足の徴候だ。ラジオをつけるのをやめるが、それでもブレーキを踏むと電源が落ちる。家まで持つのか心配。まだ夕暮れのうちはヘッドライトを消すことにし、いよいよ暗くなるまでヘッドライトを我慢して走る。ヘッドライトをつけさえしなければ発電量はおそらくプラス。ヘッドライトをつけると足りなくなるようだ。阪神高速あたりでいよいよ限界。ブレーキランプを踏まなくとも、ラジオの電源はついたり消えたりを繰り返すようになった。ときどきヘッドライトを消して休んで充電するしかない。明石海峡大橋を渡ったあたりでいよいよヘッドライトが暗くなりはじめ、いつまで走れるのか心配になる。なんとか東浦インターをでるころには水温計がふわっとつく。やっぱりベルトがすべっている。この状態で家までの坂道を登り切れるとは思えず、そのままインター近くの修理工場の店先に車をデポした。ひとたびエンジンをとめた後、バッテリーには、もうセルを回す力はのこっていなかった。ぎりぎり淡路島まで帰ってこれてよかった。最後の5?ほどをスイフトに迎えにきてもらって帰宅。22時。休憩は最小限だったが、やはり10時間かかった。
 発電不足はこの車が古くなってくると避けて通れない道かもしれない。多くの人がかかえるトラブルのようだ。プーリーのラインが微妙にずれていてベルトがすぐに摩耗することや、深いV字のプーリーが国産のベルトと相性がわるいことなど。以前はまったく何の心配もなく乗れていたが、だんだんとプーリーのずれとかブレとかが増幅してくるのだろう。ベルトは1万キロくらい持つかと思っていたが、おなじ車種にのる友人は2000?ごとに変えてるという。今回の僕のも2000?くらいだった。500?一気走行を2日間にわたってつづけたのも車には厳しかったのかも。抜本的な対策が必要。