四国中央市・新居浜市

 5日(土)と6日(日)、1泊2日で四国中央市新居浜市へ行ってきた。じっくり新居浜を訪れるのは初めて。
 5日の午後は四国中央市を流れる関川の川原へ行った。ざくろ石の入った変成岩が拾える川原として有名だ。川原に降り立つと、探すまでもなく、ざくろ石を含む石ころはいくらでもみつかった。一番ほしいのはエクロジャイトだが、見分け方がわからない。ちゃんと石を勉強しなくては。このあたりは三波川変成帯のなかでも特に高圧を受けた地域だそうで、そのせいか、ここの結晶片岩は他でみるものにくらべて、はるかに多くの雲母を身にまとい、最上級のキラキラっぷりだ。
 6日はときおり小雨が降る天気。別子銅山へ向かう。国領川付近を上流にむかって走ると、緩やかな傾斜地につくられたたんぼの石垣が目に留まる。とてもきれいな石垣だったので車をおりて見る。どれもしわしわの変成岩。結晶片岩や千枚岩だろうか。石は丸みを帯びていて、上流から運ばれて角が取れたもののようだ。田んぼを開墾したときに出てきた石かもしれない。
 市街地のはしっこに別子銅山記念館がある。まずはここへ。車から降りると目の前に重厚な石組のグランドスタンドが現れた。このスタンドは「山根競技場観覧席」といい国の重要有形文化財であることを後から知った。しばらくこの観覧席を愛でてから記念館へ。入館無料。小規模だけどすばらしい博物館。別子銅山の歴史、坑道の全体像を示す模型、多くの石の標本、貴重な古写真。ぐいぐいひきこまれた。石の標本には鉱夫たちが使っていた石の呼び名(鉱夫名)がつけられていた。鉱石としての品質や掘削の難易などに応じてかなり細かな分類がなされていたのがわかる。(参考
 つづいて別子銅山の端出場(はでば)エリアにあるマイントピア別子という道の駅へ。ここでは観光坑道を見学。かつて爆薬庫として使われていた坑道。ここでは、江戸時代から昭和40年代までの採掘作業や精錬作業について、ジオラマや写真やビデオや道具の展示などによって紹介されていた。道の駅のお土産屋さんでは別子銅山とは関連のないテキトーな石(着色された水晶や、やけにきらきらの鉄鉱石?など)をパワーストーンとして売っていたりして、そういうのはゲンナリする。2階にあがると地元の石好きのボランティアの方が銅鉱石や精錬の方法について教えてくれるブースがあった。こういうのが大事。こちらのボランティアの方から精錬の順序を教えていただき、さらに、別子銅山の銅鉱石のかけらと、精錬したあとのカス(「からみ」と呼ぶ)をいただいた。精錬カスはいくらでもあるらしい。1階のへんな石より精錬カスのほうがどんだけすばらしいお土産になるか。
 さらに高所に車で移動して東平(とうなる)エリア。かつて山中に多くの人が暮らしていた街があった。その遺跡がみられるところ。ここにも「東平歴史資料館」というのがあって、銅山で働くひとたちの暮らしがよくわかる展示があった。ここは東洋のマチュピチュというキャッチコピーで宣伝が盛んなようだが、近代産業遺産に対してマチュピチュは適切でないように思う。また、「東洋の」を冠するときは、その原点は西洋にあったほうがすわりがいい。そんなこんなで、これを東洋のマチュピチュと呼ぶのは僕はイマイチだと思う。マチュピチュにあやからなくても銅山の銅山としての値打ちを前面にだせばよいのになあ。記念館や資料館でみた銅山の歴史は十分に感動的なのだから。たくさんのトンネル、谷を埋めてつくられた広場、発電所跡、貯鉱庫のあとなどを見学。
 この日は午後に総合科学博物館などにも立ち寄りたかったが、結局別子銅山の3つのエリアを回っているだけで1日が終わった。ボランティアの方からは、「石ころが好きなら四国中央市の暁雨館へ行くべき」と言われたのだけど、そこに立ち寄る時間もなかった。別子銅山は見応えありすぎる。別子銅山世界遺産登録を目指しているとのことだけど、東赤石山などとセットにして世界ジオパークを目指したほうがもっと面白くなりそう。

山根競技場観覧席
 

東平地区の貯鉱庫の後
 
そのほか、新居浜でおどろいたこと。

  • 博物館で上映されているビデオのナレーションなど、いたるところに水樹奈々が登場。町を挙げての水樹奈々推し。
  • 山形の芋煮とおなじような「いもたき」が行われているらしい。スーパーマーケットに行ったら「いもたき」コーナーがあった。
  • 里いもの産地らしい。遠目にハス田に見えたのがぜんぶ里いも畑。葉がすごく大きい。そういう品種なのか。
  • 唐揚げのことを「ざんき」と呼ぶらしい。北海道での唐揚げ呼称「ザンギ」との関連が疑われる。
  • 住友グループ別子銅山がルーツ。本体は住友金属鉱山。ほか、銅山の機械修理部門が発展して住友重機に。銅山の薪炭や建材の調達係が発展して住友林業に。精錬の排ガス対策として亜硫酸ガスから肥料をつくるようになって、それが発展して住友化学に。