ため池の堤

 先日のカイボリでは,水が抜けた堤をじっくりと見ることができた.
 1枚目の写真は,池の中からみた堤のほぼ全体.左から順に,コンクリート塗り→石積み→コンクリート塗り→ブロック積み,になっている.石積み部分が昔からの堤.ブロック積み部分は阪神淡路大震災後の復旧工事,コンクリート塗りの部分は震災よりも前に改修された部分.

 この池は谷底平野に堤をつくって水をためた「谷池」.なのに,池の中から堤をみたこの写真で,堤の向こう側が樹林になっているのはちょっと不思議なかんじがする.まるでため池の上流側をみているようだけど,こっちが下流側.
 実は,この池は,堤のすぐ向こうで谷が急に狭まっていて,そこでは樹林の下を渓流が流れているような状況となっている.ここでちょっとした疑問.ため池の堤(=ダム)をつくるなら谷の狭いところにつくった方が簡単なように思えるが,ここではそうはなっていない.いまの堤の場所に築堤するのが合理的だった理由がなにかあるはず.僕には地形を読み解く知識がないのでよくわからないが,もしかしてこれ,最初は天然ダム(土砂崩れダム)か何かだったのだろうか?

 護岸改修がなされていない部分は径50cmくらいの石積みになっている.おそらくこの石積みが護岸で,この下に遮水のための粘土層があるのだろうと思うが,ちがうかも.この石積みむき出しがもとのカタチなのかどうかよくわからない.はじめはこの上にも粘土や土を貼り付けていたのかもしれない.堤の下端(法尻)は丸太杭で石を止めている.樹皮から判断すると,アカマツの杭のようだ.(杭のアップ写真で泥が付着していない部分は僕が樹皮をうすく剥がしたところ)


 石積みの一角にちょっと古い樋があった.コンクリートでできた管に木製の栓がささっている.いまはこの樋はつかわれていない.現役の樋はブロック護岸部分にある.むかしは取水の際は潜って樋を抜いていたという.その際,樋に向かう水圧に押されて溺死する事故もあったそうだ.

 コンクリート塗りで護岸された部分は,石積みの上にこれを練り込むように塗りつけられている.法尻部ではコンクリートの裏側が浸食されている.いいのかな.