授業,調査

 2コマ目に園芸療法課程で授業.植物関連のあれやこれやを複数教員がオムニバスで話題提供するような授業.
 里地里山を構成する要素として「森林」「草原」「水田・水路・ため池」の植生を概説.これらのモザイクである里地里山の景観写真を示し,広大な照葉樹林の景観写真(中国の菜陽河保護区)と比較.以上で里地里山の植生や環境の特徴についての説明を切り上げ,つぎに,行事に用いられる植物のほとんどが里地里山の植生のどこかに生えているものだという簡単な説明.それから,カシワモチを例にその地域差の話.さいごに講義室を出て学校の近所の里地里山を散歩しながら,講義での内容を再確認.よく熟したシャシャンボを食べたり,セリの葉っぱをかじったり,サルトリイバラの葉っぱ(まだ青いのが残ってた)をみたり.散歩してたら上空をミサゴが通過.海の鷲だけど,案外内陸まで来る.っていうか,ここは山の上だけど海岸線までそんなに遠くないのだった.
 午後は,学生(Oさん)の卒業研究につきあって,旧津名町の海のそばにお住まいの大正生まれのおばあさんに聞き取り調査に行った.昔の海岸や暮らしの様子をお話ししてもらった.目の前にいるおばあさんの口から繰り出される言葉は生き生きとしていて,情景が目に浮かぶようだった.この臨場感をそのまま伝えられないのは残念なところだ.浜に漂着する流木は薪として使うので拾い集めていたそうだが,流木を割ったらヘビや鼠がいたことがあったという.和歌山県の御坊で大きな台風被害があったときには,大量の材木が流れ着いて海岸を埋め尽くした.でもそれは御坊の人たちがやってきて回収してしまったので,立派な材木があったりしたけど手に入れることはできなかったのだそうだ.昔は波返し(防波堤)がなく,台風の時には波が屋根を越えて裏庭に落ちたりした.家の中も波が通ってすなだらけになった.第二次世界大戦のときは,夜に空襲で赤く燃え上がる神戸の街を浜からながめていたとか,浜で地引き網をしてたら米軍艦載機が焼夷弾を落としてきたから漁船の影に隠れたとか,町には2軒の船大工が最近まであったとか,船ができたときには国道の通行をとめて浜まで転がしていったとか,いろんな話しを聞いた.何の研究してるんだっけ?