法事にて

 学生のころのウェブ日記で書いたことがあるが,微妙な距離感のある親戚とのおつきあいは面白い会話にとぼしくあまり好きではない.しかしたまにはおもしろいこともある.
 “叔母の亡夫の叔父の娘”という,もはや親戚でもなんでもない人とゆっくりお話をした.娘と言ってももう60近い方である.法事のあった場所は大阪府の和泉大津市の海にちかいところ.海に近いといっても海は見えず,その家から海のほうを眺めても,阪神高速湾岸線の高架とか,そのむこうの工場とかしかみえない.叔母の亡夫の叔父の娘さんは,この町で生まれ育った.いまや海岸は埋め立てられて倉庫と工場しかないが,叔母の亡夫の叔父の娘さんが子供だった50年前は,ずいぶんとのどかな町だったそうだ.その町は,大阪や吹田あたりに住んでいるお金持ちの人が夏の間をすごすための別荘を建てるような風光明媚なところだったらしい.浜ではときどき地引網をやっていて,そういう日には地元のこどもたちは網を引くのを手伝いだか見にだか行っていた.行くときはバケツを持っていった.漁師さんはバケツのなかにとれたばかりの魚を適当にいれてくれたりしたんだそうだ.
 神戸で生まれ育った僕は,大阪の南のことはよくしらない.イメージのなかの堺や和泉大津は,工場地帯でしかない.はじめから,むかしから工場地帯だったように感じていた.でも,目の前の人から昔の話を聞くと,浜で地引網があったころのその町がなんとなくイメージできるような気がする.隔絶された過去ではなくて,地続きの,ほんのちょっと昔の話として実感できるような気がする.