投げ網猟

 神戸の実家では父がテレビをながめていた。騒がしいバラエティ番組で見る気もなかったが、とつぜん鴨の投げ網猟と聞こえたので注目。いったいどこ?見てみると、巨田の大池(こたのおおいけ)というところらしい。しらべてみたら宮崎県だ。へー。石川県の片野鴨池で坂網猟とよばれる投げ網が行われていることは以前から知っていた(いちどは猟師さんの部屋に入れてもらって道具をみせてもらったこともある)。数年前に大阪の紫金山でも昔にそういうことが行われていたと聞いた。昨年、鹿児島に旅行したときに藺牟田池で行われていたことを知った。へー。宮崎にもあるんだなあ。番組では、実際に投げ網で鴨を捕獲する瞬間のVTRが流れた。また、猟場は、鴨が通過しやすいようにそこだけ稜線の木を低くしているといい、その風景が放映された。どちらも興味深かった。
 鴨の投げ網猟の分布に興味がわいて、人文地理学の人ならやってそうなテーマだと思い、ぐーすかで調べてみたけどがっつりとはヒットせず。「共同研究の経過と課題 - 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ」 というPDFをみたら、2003年に昭和館の渡邉一弘さんという方が研究しているらしいことが分かり、また、「鹿児島県各地で行われている」という文言だけが拾えた。どこかに鴨の投げ網猟の分布と歴史がまとまってたら見てみたい。ウェブで検索してみたら、種子島でも行われているという記述があった。へー。

鈴鹿川河口散歩→民族大移動

 知人の案内で三重県四日市市鈴鹿川河口・吉崎海岸・鈴鹿川派川河口で散歩。鈴鹿川鈴鹿川派川に挟まれた河口デルタ。四日市コンビナートのすぐそばに、ちいさな漁港があったり、かつての潟湖か氾濫原の名残りのような養鰻池があったり、河口にはヨシ原や塩湿地があったりと、時の流れに取り残されたようなふしぎなエリア。
 2年ぶりに訪問した吉崎海岸では、養鰻池の周りにソーラーパネルが並んでいた。人間が遊ばせてる土地は生き物の楽園になってたりするが、ソーラーはそういうところを狙い撃ちにしてくる感がある。田舎に住んでいると、あなたの持ってる遊休地にパネル並べませんか、といった折り込み広告がときどき入ってるのできっとそのせいだ。ほんまかな。
 鈴鹿川河口ではセグロカモメとハジロカイツブリ。ハジロのくちばし上に反ってる感は双眼鏡観察でわかったためしがない。ミミとならんでたら分かるのか。
 吉崎海岸の養鰻池ではミサゴ、ホシハジロキンクロハジロコガモハシビロガモ、カワウ、アオサギジョウビタキセグロカモメミシシッピアカミミガメ。カメは大きな個体に見えたが、コガモとならんだらコガモに負けてた。そんなもんか。防波堤の上でなにかのペリットか糞のようなものを拾う。ハゼノキのたねや貝殻のかけらがたくさん入っている。カラスのペリットかな。
 鈴鹿川派川河口ではオナガガモコガモキンクロハジロ、ユリカモメ、ウミアイサ雌、スズガモ、オオバンハクセキレイオオバンはしきりに潜水して海藻だか海草だかを食べていた。干潟でアイアシとフクド(たぶん)。コンクリ目地にタイトゴメ。ホシハジロの死体がひとつおちていた。背中の羽毛の模様がとても繊細で美しい。わりと新鮮な死体で、持って帰りたかったが道具がなかった。残念。大人が鳥を眺めてる間、9歳の男児はフリースの上着を着てコセンダングサ群落に突撃しハリネズミのようになっていた。6歳の男児は貝殻を拾い集めているうちに波打ち際に突撃し、長靴の中に砂混じりの海水を大量に流入させて意気消沈していた。
 杉かなにかの根株が漂着していて、樹皮がすっかりはがれている。樹皮下で昆虫が食い荒らしたのか、表面に複雑な模様が描かれていた。9歳男児はサルとおっさんがにらめっこしてる模様を見つけ出し、6歳男児はおすもうさんの絵がかいてあると言っていたが、どこをどう見立てるとそう見えるのかはよごれちまつたおっさんたちにはよくわからなかった。
 合計2時間弱で散歩を終え、荷造りをして神戸へ向かう。9歳男児四日市の祖父母宅に居残り、6歳男児のみ連れて帰る。名神の茨木付近で少し渋滞。中国道にスイッチしたあたりで日没。三日月と明星が南の空にならんでてかわいい。神戸で一般道に降りたらすこし渋滞。田舎育ちの6歳男児は「高速道路じゃないところでも渋滞ってあるの!?」とカルチャーショックを受ける。神戸の実家で妹家族とあそんでから淡路へ。まったりとした正月を終える。

ひかりのどけき(←気が早い)

最近、夜は眠くて、大晦日の夜、9時過ぎに蕎麦食べてすぐに寝落ちる。元旦、5時に起きたのに諸事情により初詣に行かず留守番。で、何年ぶりかで御来光を拝まない正月。
焼いた角餅に餅菜と削り節の入った雑煮とおせちを食べ、初売りの掘り出し市へ出向き、椎茸ドリルビットとうどん打ちのこね鉢を買う。こね鉢は案外大きくて、こんなん買ったらじゃまかなと家族に問うたら、うちには納屋というブラックホールがあるから大丈夫と、先行きの不安を感じないでもない答を得る。
昼にまたおせちを食べ、ノートパソコン開いて学生の研究のデータを見て間違いに気づき修正を試みる。
ここ数年の元日の恒例で、家族で映画を見に行く。今更ながら「君の名は」を見た。僕は情報収集能力は人並み程度だが、情報遮断能力は抜群。飛騨と東京が舞台であることも、尾道三部作な内容であることも知らず、たいへん楽しめた。引戸の開け閉めが印象に残る。あと、低体温症が心配だったり、そんな暮れから高い山登ったら遭難するでと心配になったり。
四日市駅前のスーパーでスーパー調査とカキ調査。三重産の牡蠣に会えず。鮮魚売り場のイサキとカサゴが美しかった。かちりちりめんという関西では見慣れぬ名前のちりめんじゃこ。上乾ちりめんのこちらの呼び名だろうか。
夕におせちを食べ、学生の研究データを眺め、レイトショーでローグワン。これまた抜群の情報遮断能力を活かして楽しんだ。EP8だと思ってたらわーそんな時代の話だったか。めちゃくちゃ黒澤時代劇だった。
色々書き散らかしたが、どうか読む方の情報遮断能力が抜群でありますように。

かごのき、みつばち

 学生Tさん、カゴノキの葉の裏の粉白色の部分をみつめていたが、なぜだか突然それを自分自身の鼻に押し当てた。そして発見した。カゴノキ、あぶらとりがみの代わりになる。僕もためしてみたが、たしかに鼻の油をすっきりと吸い取ってくれる。なんで?
 カラスザンショウとタラノキクサギの花が盛り。タラノキの花にはものすごい数のニホンミツバチが訪花していた。あまりにたくさんいるからか、ハチのにおいがした。蜜蜂の巣箱の中でよく嗅ぐあのかおり。でも、もしかしたらこれはタラノキの花の香かもしれない。

PCのことを考えずにPCを使いたい

 先月17日にメインで使っているデスクトップPCがおかしくなった。起動後3分ほどたつと、あらゆる動作にものすごく時間がかかるようになる。とくに読み書きの速度が尋常でなく遅い。ハードディスクの不調であろうと隣室のYさんが言った。たいへん多忙な時期になんということか。修理に出すための事務作業は僕のいちばんの苦手分野なので手を出す気にもなれない。とりあえずちょっと暇になるまでノートPCを使おう。それでここしばらくずっとノートPCだけで仕事をしていた。デスクトップは明日か明後日に修理を手配しよう。そう思い続けて、一日ずつ先送りすることを40回ほどくりかえしてついに今日にいたる。そしてさきほどノートPCの画面がぷつっと音を立てて突然真っ白になった。何もうつさない。再起動したがだめだ。真っ白だ。眩しいくらいに真っ白だ。しょうがないのでデスクトップPCで使っていたモニターにノートPCをつないで作業をはじめた。さすがにこの状態を先送りしつづけるのはあほだと思うので、明日さっそく修理の依頼をしよう。と思ったが、あかん、明日は西宮に出張だから明後日にしよう。と思ったが、あかん、明後日は島の南の山の中に出張だからしあさってにしよう。と思ったが、あかん、しあさっては土曜日だ。来週にしよう。けど週が明けるそのころにはきっとデスクトップPCのハードディスクが壊れているらしきこともノートPCのモニターが壊れていることも日常の風景に溶け込んで、なにごともなかったかのようにケーブルでモニターにつながれたノートPCを使うのだ。いやいや、さすがにそれはあほすぎるので、どないかしよう。いややなあ。ひごろのPCは便利などうぐだけど、不調になったときはどんな機械よりも不便な道具。ほとんどの機械は修理のときには代替機を問題なく使えるのにPCはそうはいかない。買い替えたときも元の使用環境を整えるの手間も時間もかかる。中身の全てを、データだけじゃなくてソフトも設定も、すべてストレスなく自動的に代替機や後継機に引き継げるようなそういう仕組みにはならないのだろうか。そうあってほしいものだ。

草刈りの最適化

 午前中は畑と畔の草刈りをする。いろいろな果樹を植えた畑は、これから先、全体を耕すことはなく、きっと草刈りばかりがつづく。地下部への攪乱がなく地上部だけに攪乱を与え続けるので、いずれ多年草だらけになるかもしれない。今日刈った場所で目立ったのは、コセンダングサエノコログサ(たぶんアキノ)、スギナなど。コセンダンは、夏を越したらめんどくさくなる相手。いまのうちに刈りまくる。畔はヒメジョオン祭り。今年は花つきがすごくよくて、まっしろな花畑。たしかにきれいではある。ヒメジョオンを刈り倒すと、下からヤマハッカやヨメナやコナスビが顔を出す。
 梅雨に入る前の5月に一度刈った場所では草がやわらかくて刈りやすい。エンジンの回転を低く抑えていても、草刈り作業はすいすいと進む。一方、5月に刈らなかった場所ではセイタカアワダチソウヨモギの茎が太く硬くなっていて、さらに茎の上部にクズやカエデドコロが絡みついていて(カナムグラはまだそこまで激しくのびてない)地際を刈り払っても草が倒れないので作業性がとても悪い。刈り進む速度が遅くなる。やわらかくて蔓の絡んでいない草を刈るのに比べて2倍以上の時間がかかっているなら、5月と6月の2回刈った方が合計の草刈り時間は短いことになる。おまけに草刈り機の燃料も少なくて済む。太くて硬くて蔓が絡んだ草を刈るのは、力がいるし、刈ってて楽しくない。まめに刈ることが結局は楽。鎌で刈っていたころなら、その差はもっと大きかったかもしれない。
 それで、来年からは梅雨入り前に一回目の草刈りをおわらせておこう、と思った。こんな僕でも一回やったらそういう反省がでてくるのだから、古くからの農家の方が畔の草をかる時期と回数は、少ない労力で最大の成果が得られるようにたぶん最適化されているだろう。そして、そのような草刈りのもとで畔の草原が維持されてきた。農家の方には、多様性云々より、「この時期・回数で草刈りをすることが畔の草を抑える一番楽な方法だ」ということを示したうえで、「その時期・回数で草を刈るとこんないろんな草花が生きられる」ということをおまけとして示すのがよさそうに思う。というわけで僕は、いちばん楽な草刈りの回数や時期を知る必要がある。
 農家はできれば草刈りを楽したいと思っていて、草原の多様性なんかは気にしていない。だから、近年では除草剤をまいたり、コンクリを塗ったり、ムカデシバやヒメイワダレソウを植えたり、いろいろ試している。除草剤は畔がくずれやすくなるというデメリットがあり、そのことを多くの農家の方から実体験として聞く。除草剤はあかんかったなあ、というのが農家の認識として広まってきているようだ。これが広まることで畔に除草剤を播く例は減っていくだろう。ムカデシバやヒメイワダレソウはどうだろう。コンクリはどうだろう。畔に草が生えていることの意義、農家にとってのメリットが見えてくると、草刈りをつづけて、畔の草原を維持する理由がわかりやすくなる。

何某

 島の南の二次林で毎木調査。よくわからないカシ類がでてきた。さいしょはアラカシだと思ったが、なんか違うような気がする。同じプロットにこれぞアラカシというべきアラカシが現れ、それと比べると葉も樹皮もえらく違う。かといって思い当たるカシがなく、これ何ガシやろかとつぶやいてるうちに興が乗ってきて、それがしはなにがしじゃなどとたわむれる。これって植生調査あるあるでしょうか?結局たぶんアラカシでした。